公孫樹

公孫樹とは

本校の発行する学校便りです。

公孫樹とはイチョウのことであり、本校の正門から校舎へ続く道がイチョウ並木となていることからこの名がつけられています。

ご覧になるには、下のリンクをクリックしてください。平成24年度発行、平成25年度発行のものは、PDFファイルが開きます。
 

 

平成28年度

第40号  第41号  第42号
 


第40号

 

夢を追いかけて

東京都立豊多摩高等学校長 大西 修

 私が豊多摩高校に着任して三ヶ月がたちました。生徒たちや先生方の顔もかなり判るようになり、保護者の皆さんや同窓会、地域の方々ともご挨拶ができ、生徒を育てる「Team豊多摩」の手がかかりをつかめたような気がしています。
 四月六日の始業式、アリーナで二、三年生を前にして、かなり緊張して舞台に上がりました。全員がシーンと静まり返り、マイクを使わずに話をできたことは、とても誇らしい気持ちにさせてもらいました。今度は三学年そろった終業式にも期待してしまいます。
 さて、先日、植松 努氏の講演を聴く機会がありました。「思うは招く」~夢があれば何でもできる~という演題でした。実は、植松氏の著書は二年ぐらい前に読んでいたのですが、改めて講演を聞き、その夜にはもう一度その本を読みなおしました。独特の言い回しとリズミカルな話しぶりでどんどん引き込まれてしまいます。
 「どうせ無理に決まっている」を廃絶したいんだ! 植松さんは挫折を繰り返しながら、工夫を重ね、夢を実現させていきます。好きなことに力を注ぎ、あきらめず、工夫します。「あきらめない人がひとりでも増えれば、世の中が少し良くなるんじゃないか」という思いを込めて、『NASAより宇宙に近い町工場』という本になりました。北海道赤平市という小さな町で小さな工場を営みつつ、宇宙ロケット開発に情熱を注ぐ著者が、本業もロケット開発も成功させている自らの体験を通して「みんなが夢を持ち、工夫をして『よりよく』を求める社会をつくること」を提唱します。生徒諸君は「無理!どうせ無理!」と、保護者の方や先生方、そして自分自身に言い訳していませんか?失敗したり、大きな努力を自分自身に課すのを嫌がったりしていませんか?植松氏曰く「教育とは死に至らない失敗を安全に経験させるためのものです。」是非、あきらめずに工夫してください。
 勉強はコツコツと努力しなければ成果が上がらないものです。だから、「無理!どうせ無理!」と、言い訳したくなります。言い訳しないで勉強の仕方を工夫してください。試してください。成果が上がる勉強方法、君に合った勉強方法を探すのです。これに成功すると「一石二鳥」です。勉強の成果と努力の方法と二つ手に入れることができます。
 このことは、勉強などほんの一例にすぎません。部活動や行事に取り組む姿勢、自分自身の進路に向けてあてはまることでしょう。
 植松氏は宇宙への夢を追い続けています。豊多摩生にも自分の好きなものを見つけて、夢を追い続けてほしいと思います。

 

「豊多摩は一日にしてならず」

副校長 飛田 牧弘

 

 十年くらい前、当時の副校長先生から若手教員の授業参観を頼まれて、初めて豊多摩高校を訪れた私だったが、実際に足を運んでみると、何ともいえない違和感を覚えた。校長先生の案内で教室へ向かったのだが、廊下で顔を合わせる生徒のほとんどが校長先生に挨拶しなかったのだ。心なしか、廊下の空気は重かった。見学した授業自体も、先入観のためか、低調だったと記憶している。その気持ちを内に秘めながら、銀杏並木を後にした。
 そして三年前、今度は自分が副校長として本校に配属されることになり、運命の悪戯を感じながらも、「あの学校かぁ」と少なからず身構えて校門に入った。しかし、それは杞憂にすぎなかった。校内には、花と挨拶が溢れ、全校集会はメリハリがあり、職員室前では、多くの生徒が自習をしている。同じ学校とは思えなかった。
着任後の数か月、本校での勤務が長い教職員から本校を巡る動きをお聞きする機会があったが、その数年前まで、挨拶はおろか、遅刻は絶えず、全校集会では整列できない、授業や行事を中抜けする、昇降口には靴が散乱、、自転車は無秩序に放置されるなど、私の第一印象を裏付けることとなった。
 しかし、幸いなことに、現状を憂いた志ある教職員と母校を大切に思う学友が対話を重ね、思いをぶつけあいながら、本校の現状に正対し、規範意識の向上を図りながら、授業・部活動・行事などに真剣に取り組んだ結果、落ち着いた学校を取り戻すに至ったのである。現在、17時以降、校長室前の廊下を靴下で歩く生徒の姿は日常的であるが、実は誇るべきことでもあるのだ。
 学校生活が落ち着きを取り戻すとともに、進路実績も右肩上がりで、今春に卒業した68期生は、国公立16名、難関私大35名、GMARCHが155名合格と、校外からも注目される存在になりつつあるが、これは単学年、単年度で成し遂げられるものではなく、生徒と教職員が、保護者や卒業生、地域の協力も得ながら、一つ一つ地道に積み重ねていった成果以外の何ものでもない。
 

Toyotama was not built in a day.

「豊多摩は一日にしてならず」


 校舎の片隅にたたずむ掲示板。弱くなった足腰が本校の歴史を物語る。

 


 

久しぶりです!

経営企画室長 須賀 信也

 

 8年ぶりに豊多摩高校に帰ってきました。
 久しぶりの豊多摩は、依然と少しも変わらず、広々として緑の多い素晴らしい環境の学校だと感じました。
 特に1グラと2グラの間を通って1グラを巡る小道は昔のままの雰囲気が残っています。
 生徒さん達の落ち着いた態度も以前と変わりませんね。
 ただし、校庭や校舎をじっくり見てみると、こちらも8年前とほとんど変わっていないことに気づきました。当時から具合の悪かったところは、相変わらず今も調子が良くなく、あまり手をかけられてこなかったのかなと思います。それどころか、より一層、老朽化が進んでいるところも見受けられます。
 それで、今年度は放送設備やトイレ等の補修工事を行うことが決まっています。また、来年度は特別教室を含め冷房設備の整備を行う予定となっています。
今後も学校の環境を少しずつでも良くしていくことを目指していきたいと思います。

 

「合唱コンクールを終えて」

生徒保健部 白川 桃子
 
 府中の森芸術劇場どりーむホールに会場を移して二年目、六月三日に合唱コンクールを無事終了することができました。保護者の方々には、お忙しい中お越しいただき、ありがとうございました。また、朝練のためいつもより早いお弁当作り、PTA役員の方々のご協力等、心より感謝申し上げます。
 学友の皆さんは、選曲から、朝・昼・放課後及び休日の練習等、係や指揮者・伴奏者を中心に、迷ったりぶつかり合ったりしながらも、よく頑張っていました。今年は例年に比べて中間考査以降の期間が短く、十分な練習ができない状態でリハーサルを迎えましたが、各学年各クラス、精一杯取り組んでいました。特に一年生は入学して人間関係作りからのスタートでしたが、日々練習を重ね、「審査員特別賞」を受賞するなどすばらしい成果を出しました。二年生は芸術選択もなくなり、リハーサルでは一抹の不安を感じましたが、さすが豊多摩を担う学年として、本番では立派な合唱を聴かせてくれました。三年生は上手なだけではなく、聴く人の心を揺さぶる深みのある合唱でした。今までの学習や経験が、血となり肉となり、確かな成長として、合唱から伝わってきました。
 取り組みの過程では、辛い思いもしたと思いますが、クラスで団結・協力・努力したことは、皆さんの自信となり、続く記念祭や体育祭等の行事、さらには、夢を実現していく原動力につながるのだと思います。私たちは、皆さんがその力を磨いていくことをこれからも応援したいと思っています。
 最後に、行事委員を始め、その他委員・係りの学友方、自主的で責任感溢れる皆さんの働きが、合唱コンクールの成功を支えました。ありがとうございました。これから続く行事でも、その活躍に期待をしています。

 

第41号


「水を運ぶ人」

東京都立豊多摩高等学校長 大西 修
 
先日、イビチャ・オシム氏が旭日小綬章を受章されました。ご存じのとおりサッカー日本代表の元監督で、志半ばで病に倒れてしまいましたが、今でも、日本に強い関心を寄せてくれる旧ユーゴスラビア代表の最後の監督です。
 「誰が水を運ぶ人であるのか」私が一番印象に残っているオシム氏の言葉です。どんなチームであれ、目標に向かっていくチームであれば、うまく機能しているチームであれば必ず存在するタイプの選手です。
 学校にも当てはまります。校長が「生徒には三兎を追わせろ」と学校方針を出します。すると、それを実現するために先生方やPTAの方々、地域の方々や同窓会の皆さんがいろんな形で支援してくれます。目標を達成するために采配を振るう人、人に見えないところで走って汗をかく人、それぞれの方々が自らの役割の意味を認識して行動すると組織の力は強くなり、目標に向かって大きく前進するポイントとなります。
 生徒諸君には、是非とも「水の運び役」が見える人になって欲しいと思います。誰もがその役割をする時が来ると思います。その時には、役割を認識し、理解し、汗をかいて取り組んで欲しいと思っています。チームにとって大事なのは、メンバーが個々に自らの役割の意味を認識し、機能することです。


 

「『原点』に返る」

副校長 飛田 牧弘

5月のPTA講演会は、脚本家で29期生の宮村優子さんをお招きしましたが、その内容はPTA広報誌第207号に掲載されているところです。本校在学中に旺文社学芸コンクールに入賞したのがきっかけで、物語を書くことに強く惹かれるようになったそうです。そして、3年生の時の担任だった尾崎雄先生にその気持ちを打ち明けたところ、反対されるどころか、「学校はどこでもいいから思い切り書きなさい。あきらめてはいけない。」と励まされ、意を決して早稲田大学第二文学部(現在の文化構想学部)に進学されました。その懐かしい思い出を語っている宮村さんの表情が感極まった瞬間、私は教師という仕事の原点に立ち戻ることができました。また、「クラス会で旧友に会うと、『高校生のとき、もっと勉強面で鍛えておけばよかったね』という話になります。」というお話も強く印象に残っています。
さて、例年のことですが(もっとも、私は4回しか見ていませんが)、本校の文化祭は、演劇や映画など正しく「文化的」という表現がふさわしい出し物が多いと常々思っています。正直、その完成度は様々ですがそれでも、さすが宮崎駿・谷川俊太郎・加藤みどり・イッセー緒方、そして宮村優子の後輩です。今年も、顔見知りの生徒が元気に演技する姿を見て、心温まる思いでした。近年、本校の進学実績が上昇していますが、本校の目指すところは他の進学校のコピーをすることではないと考えています。単にコピーをするだけならば、豊多摩高校であり続ける必要はなく、校名を変えてもいいくらいです。私は一介の副校長に過ぎませんが、本校が目指すべきは、生徒たちの第一志望群達成を応援する一方で、本校が長年にわたり守ってきた「文化=多様な価値観」を大切にしていくことだと思います。昔、校内に「なまけの森」という場所があったそうですが、全学友が自己実現に努めている豊多摩高校を、私は英語で”a forest of cultures“と呼んでいます。”cultures“が複数形になっているのは、本校の文化は音楽・美術からスポーツに至るまで幅広い分野を内包しているからです。昨今の教育界が抱えている深刻な課題の一つとして「いじめ」が挙げられますが、本校でも「いじめ防止基本方針」を学校HPに掲げるなど、他校の事案を「他山の石」にしながら、いじめ防止に取り組んでいます。いじめとは自分とは異なった存在・価値観を排除することに端を発します。したがって、いじめは文化の森である本校の校風とは相いれないものです。本校は私服の学校です。なぜ私服を貫いてきたのか?私たちにとって、私服はあまりにも日常的な風景なので、あまり意識することはありませんが、昭和十五年に開校した本校の校是である「自主自律」の意義を現代の観点からとらえるとともに、その原点に時々立ち返ることも大切だと思います。

       『イクボス宣言』
              みんな     やすみ  と  る
       ○明日のため,家族のために,休暇申請

       ○All work and no holidays makes us dull teachers
          (よく働き、よく休め)
           
                    平成28年10月 飛田 牧弘
 

「記念祭で考えたこと」

遠藤 圭

今年度、私は記念祭のメイン担当だった。
全体の運営に気を配らなければならないので、団体別の催し物にはほとんど足を運ぶ暇がなかった。それでも業務の隙間時間を使って、いくつかの展示や公演を見ることができた。
ある教室の前を通りかかると、女生徒が展示を見ていってくれませんか、と私に声をかけた。彼女が呼び込みをしていたのは、自然物を扱った展示だった。
中に入ると、整然と配置された展示が目に入った。小ぢんまりとしていたが、丹念に準備された展示であることが一目で分かった。
呼び込みをした女生徒は、一つ一つの展示について、丁寧に説明をしてくれた。普段の授業の時とはまるで違う顔だった。この展示物に対する彼女の情熱が、こちらまで生き生きと伝わってきた。
展示物の一つが、以前の赴任地である伊豆大島で見たことがあるものだった。そのことを彼女に伝えると、本当ですか、私もいつかこれを本物の自然の中で見てみたいんです、と言って目を輝かせた。
私は彼女に、この分野を専門に学べる大学があるから見学に行ってみるといいよ、と伝えた。彼女は、実はその大学に行くことが夢なんです、と言って笑顔を見せた。
記念祭の二日間で、最も心に残った出来事だった。彼女のこの笑顔を見られただけでも、記念祭の運営に携われて良かったな、と思った。
その団体の企画内容は、豊多摩大賞を取るような周囲の耳目を引くものではなかった。しかし素晴らしい展示には違いなかった。来年彼女は卒業しているが、後輩たちがどのような展示をしているのか、また見に行ってみたいと思う。
マイケル・サンデルというアメリカの政治哲学者が書いた『それをお金で買いますか―市場主義の限界―』という本に、成績の良い子供にお金を払う、という事例が紹介されている。学区内の共通テストで好成績を収めた生徒に対して金銭的インセンティブ(報奨)を与え、動機付けを行うという試みが多くのアメリカの学校で取り上げられている、というものだ。
金額はそれ程多いものではないのだが、その表現効果は多大なものがあるらしい。「お金という結果がついてくることは、何かクールな感じがする」と生徒たちが感じ、特にスラム地区に配置された学校で、学力向上に大きな成果が見られたらしいのだ。これを読んで、あなたたち豊多摩の生徒はどう考えるだろうか。
もちろん、豊多摩大賞と金銭的インセンティブを同列に扱うつもりはない。しかし、外部的な評価が本当に必要かどうか、ということも考えてもらいたい。賞を取れるかどうかということと、内的な動機に動かされて何かに取り組もうということは、全く別である。
受験を控えた三年生が、試験には使わないからという理由で、漢文の学習を放棄することがある。余裕がない状態だから、もちろん気持ちは理解できる。しかし、人生を俯瞰的に捉えた場合、とてももったいないことをしているな、と感じる。
2500年前に生きた諸子百家の思想を理解したり、司馬遷の『史記』を読んで英雄たちの躍動する様子を感じ取ったりすることと、大学入試に成功するかどうかということとは、本質的な関連性は全くない。外因的な評価や結果を気にするあまり、自分の人生をスポイルしてはいけないのだ。
重要なのは、自分が興味のあること、それを大事にして見失わないようにすることだ。当たり前のことと思うかもしれないが、気を付けていないと見失ってしまうのである。
大事にして、常に真摯な姿勢で向き合っていないと、情熱は輝きを失う。そして恋愛と同じで、失って初めてその価値に気付く。
何かの対象に対して、情熱を傾けること。そして外部の評価に関わらず、それを続けること。そういう人生は幸せだと思う。
記念祭で呼び込みをしてくれた女生徒が、そのような人生を歩んでいってくれると嬉しい。そして学友の皆さんにも、そうあって欲しいと願っている。
今年の記念祭で考えたことでした。
 

 

「初めての体育祭」

平岩 了

わたくし自身が、豊多摩高校で初めて経験する体育祭が、九月二十八日(雨天順延)くもり空の下、本校グラウンドで実施されました。まず驚いたのが、体育祭実行委員会の四月からの昼休みを利用しての準備である。今まで経験してきた、どの学校よりも一番早いということです。その為、本番までスムーズに運営できたというのが実感でした。
次に驚いたのが、授業を利用しての、各学年の全員リレー、集団種目のチームジャンプ、
ムカデ競争、いかだ流しの練習です。
さらに驚いたのが、体育祭の朝練習である。
八時には、第一グラウンドに元気な姿でいかだ流しをしているのには、「本番?」と思うほどでした。種目に関しては、他校とさほど変わらない印象でありましたが、総合的に実感したのは、体育祭にむけての準備に対する緻密さとエネルギーの多さでありました。
 
 

第42号

  「トレーニング」
東京都立豊多摩高等学校長 大西 修 
 









 平成28年度も終わりに近づき、生徒はそれぞれに今年度の反省と次年度の目標を心に描いていることでしょう。生徒諸君は、豊多摩で勉強に、行事に、部活動にと様々なトレーニングを積み、成長してきました。さて、それは十分なトレーニングだったのでしょうか。
 三年生の多くは、受験に向けて学習時間を一気に増やして懸命に取り組みました。大きな成果となって結果が出るものと期待しています。学校でも多くの模試を受け、他流試合を行い、自らの実力を測り、目標を定め、努力しました。学校外の模試での他校の生徒との対戦やそれを想定した自学自習は足りたのでしょうか。
 二年生は行事や部活動の中心となり、校内では先輩としてリーダーシップをとり、活躍しました。他のクラスや他校の準備を見学したり、取り入れたり、他校の部活のトレーニングや戦術を参考にしたり、学習したり、他のチームの動きを視野に入れていましたか。
 一年生は「校長が行事と部活を一生懸命にやれと言った」を言い訳に学習を怠っている人(授業以外の学習時間30分未満約40%)がいるらしい。しかも学習時間が不足していると考えている人はたったの0・4%……………(不適切な表現なので削除)。私は『三兎を追え!勉強が一番で』と言ったはずである。他の
 
人や友人とトレーニングするでもなく、自分一人で情けない言い訳をしているのであろうか。
 相手のいないトレーニングは難しい。自分だけで高いモチベーションを保つのは大変なことです。相手や周囲に対応する実践力を身に着けるためには、一人でのトレーニングは厳しいのです。例えば、スポーツにおいて純粋なフィジカルトレーニングであれば、一人で黙々と取り組むことも必要でしょう。勉強においても基礎知識を身に着ける【例:英単語を覚える】には良い時もあります。
 豊多摩の生徒には、もっと外に出て相手を見つけ、トレーニングをしてほしい。周りの状況をもっと見て欲しい。受験を控え、外に出て外部の模試で戦ってみよう。行事を成功させるために他の学校の準備も学んでみよう。部活の試合で勝つためには多くの練習試合が必要、普段の練習にもオフェンスとディフェンスを常に置き、対戦相手を想定した練習が必要です。
 これからは、社会の変化、周囲の温度差、対戦相手の成長等の変化する状況に瞬間的に対応できる臨機応変な力が必要になります。ぜひ、学びの(勉強だけでなく、行事も部活も含めた)トレーニングの質を高くして、さらに高い目標を目指してください。
 
 
「An old dog also learns a trick.」
副校長 飛田 牧弘  
 
 高校にもアクティブラーニング(AL)という黒船が迫っている。関連図書の発行や研修会が花盛りで、そこではALを従来の一方的な講義とは異なる「主体的で協働的な学習」「主体的・対話的で深い学び」「能動的な学修」と説明されている。しかし、このALという言葉に対して、共通理解が図られているとは言い難い。本校教員へのアンケートにおいても「話し合いだけで終わるのか」「基本知識が身に付くのか」「教員が説明しないで大丈夫か」「授業規律が乱れるのではないか」「指導に時間がかかりそう」「受験に間に合うか」「大学入試はどうなるのか」「そもそも、なぜALなのか」、そして「自分は講義型で教えられたので、今さら授業スタイルを変えられない」と率直なものまで、不安や疑問の声がある。
 そこで先日の学校運営連絡協議会でALを話題にすると、委員のお一人である東工大の渡辺雄貴准教授(授業設計)から「AL=話し合いは誤解である。ALとは『認知プロセスの外化』を指し、学んだことや考えていることを振り返り(リフレクション)、それを表出(アウトプット)させることで学習内容の定着を図ることである。言い換えれば、自己をモニタリングしてコントロールできる自律的学習者の育成を目指すものである。また、ALの方策は固定的なものではなく、話し合いは一つの方策に過ぎない。豊多摩の授業を見学すると、高いレベルの説明が行われている一方で、生徒の学力からすると丁寧過ぎることがある。説明を減らして演習量を増やし、演習の中で補足説明してはどうか。授業の最後に『まとめ』と『次回までの具体的指示』がほしい。」と話された。
前述の校内アンケートでも、ALの多様性を示唆する提案が挙げられた。例えば、確認テスト、要約、振り返り、調べ学習、解法検討、生徒考案のQ&A、課題探究型読解、誤答検討、プリント演習、発表活動、ペア暗唱などである。
また、同アンケートに次のような意見があったので紹介する。
「AL型授業をするには『これまでとは違う何か新しいことをしなくてはいけない』という思いに駆られてしまう。しかし、私は『今までに取り組まれてきた実践を見直してみよう』と言いたい。私が高校生の頃、数学の問題を黒板で解かされたときは、必ずその解答をクラスのみんなに向けて説明させられたものである。その説明に対して、クラスメイトから質問が出たりすることもあった。このような中で、自分が理解していると思っていたことが不十分であると自覚したり、理解が深まることを実感したりすることができた。当時の自分にとって、あの体験は「アクティブラーニング」になっていたのだと思う。さらに、クラスメイトに説明をする中で、自分の考えを分かりやすく伝えることや、クラスメイトの質問を受ける中で、他者の言うことを丁寧に聞いて理解することを学んだ。ただ、私が体験したような演習の形態は、私が高校を卒業してから段々と(本校だけでなく他校でも)少なくなっていったように思う。予備校のように教師が問題のエレガントな解法を一方的に解説したり、予備校でテストゼミなどと呼ばれるテスト形式の問題を解かせ、その直後に解説をしたりするという形態が増えていったようである。このような演習の形態を、私が高校生の頃のような演習の形態にしていくだけで、AL型授業に近づいていくのではないだろうか。」
この意見を通して、当時の豊多摩の教育によって、優秀な数学教師が育っていったことが垣間見えるとともに、今後の本校の教育についてのヒントが得られる。「自主自律=自律的学習」を信条とする学校である。生徒一人一人を「学友」と呼ぶ学友会という組織があり、学友会主催の学校説明会や異学年生徒が討論する縦割りHRなど、様々な活動を活発に行っている。また、運動部と同様に文化部も盛んに活動している。さらには、開校以来、多数の文化人を輩出してきた経緯もあり、ALを推進する素地がある。運動部についてもAL型能力が必要なことは言うまでもない。
今後、ALを含む本校の教育実践の成果が、学業成績や進学実績などに現れていくと考える。その一つの指標として自習スペースの利用状況が挙げられる。自習スペースで、通りかかった教員に質問したり、赤本に取り組んだりしている生徒、自販機コーナーでお茶を飲みながら友人同士で教え合う生徒など、日常的な風景である。私はこれもALであると思う。自律的学習を目指して、「生徒・教員・保護者が各自の役割を果たすことが大切」と渡辺先生は指摘する。我々教員も少しリフレクションする必要がありそうだ。多くの自律的学習者が生まれることを期待し、3月27日、他校の物品を譲り受けて、自習コーナーを拡大する。
Tobita flies like an arrow.「光陰、矢の如し」
 
 
「一年を振り返って」     
須賀 信也
 
 四月に赴任してから、ようやく一年が過ぎようとしています。
 振り返ってみると、年度当初は施設の修繕に大部分の時間を取られたような気がします。
 施設の老朽化が進んでおり、直すそばから故障箇所が出て来るような状況でした。
また、夏からは放送設備等の大規模改修が始まり、工事の対応を行うこととなりました。豊多摩のように夏期講習等で休み中も教室が空かない学校では、土曜・日曜の工事が多くなるので、夏休みも取り切れないのではないかと心配でした。
秋口になり、幾らかホットできたと思ったのですが、年明けからは入学選抜への対応が始まり、600人を超す受検者が出願するなか、事故を起こさず無事に終了させることだけを念頭において処理してきました。
とにかく、あわただしく、忙しい一年間だったと思います。
 

「三兎を追えたか?」
              飯泉 誠
 
校長先生が学友諸君に「三兎を追いかけよう!」と呼びかけた。この呼びかけは諸君も知っている「二兎を追うものは一兎をも得ず。」を念頭に置いたものだ。これは、ローマの古いことわざで、二匹の兎を同時に捕まえようとして追いかければ、結局は二匹とも取り逃がしてしまう。そこから、二つの物事を欲張っていずれも失敗・中途半端に終わることの戒めに広く使われている。校長先生の言う「三兎」とは、学習活動・部活動・学校行事のことであり欲張りな言葉と言えるが、本校は、伝統的に「文武両道」を校是として掲げている。そこには、学友諸君に対する信頼と期待がある。
 では、学友諸君は三兎を追うことができたのか?また、そのための努力をしたのだろうか?12月に実施した学校評価アンケートの集計結果を見ると、生徒諸君の「部活動に対する満足度」は、91・2%、「学校行事に対する満足度」は88・0%と、いずれも高い数値となっている。ここから、部活動・学校行事の二兎を追うことのできた学友は多かったのではないかと推察できる。
 しかし、同じ12月に実施した進路調査の集計結果(進路指導通信『羅針盤』第10号で抜粋を既報)を見ると、生徒諸君の家庭での一日の学習時間は、一年生で平均46・6分、二年生で平均53・4分と一時間に満たない。学習内容を見ると、「宿題」が一年生で81.6%、二年生で74・4%であり、多くの学友が宿題だけで予習・復習はやっていないようだ。また、今の学習時間をどう感じているかについては、二年生で「かなり不足だと感じている」が52・8%だが、一年生では0.3パーセントとなっており、正直に言って、一年生の数字に私たちは心配を隠せない。三兎を追うのであれば、一年生は120分を目指して家庭学習をしてほしい。二年生は三年生になったら、まず夏休みまでは180分を確保するように努力してほしい。その積み重ねが学友諸君の未来の扉を開く鍵となるのだから。
 

平成27年度

第37号  第38号  第39号

 


第37号

 

教師の仕事

東京都立豊多摩高等学校長 奈良 隆
 
 教育の仕事に携わって随分長い時間が経った。私が教師の道を目指すようになったのは中学二・三年生の頃である。将来の職業を具体的に意識したという意味では当時の同級生や、今の豊多摩生と比べても早い方だったかも知れない。私がそれ程早く将来のことを意識するきっかけとなったのは、何と言っても剣道、そして先生との出会いである。今振返っても、一度もぶれることなく進んでこられたという事実からも剣道、そして先生との出会いそのものが私に与えた影響は極めて大きなものだったと言える。このことは有難く心から感謝している。
 先生との出会いについては以前、公孫樹でも一部紹介したとおりである。剣道など見たこともなかった私に、時に厳しく、時に優しく一から手ほどきをしてくださった。先生の剣道を一言で表現すると「強く正しい剣道」だった。剣道の凄さは勿論、それ以上に先生の温かい人間性に魅力を感じ、私の中で憧れの存在になった。
 先生はどんな時でも私の傍にいてくださった。そして大きく深い懐に私を含む、やんちゃ坊主たちを包み込んでくれていた。中学生の私には裏切ることなど絶対に出来ない存在だった。しかし、残念なことに先生は私が高校三年のときに急逝された。複雑な思いでご葬儀に参列させて頂いたことを憶えている。
 時が経ち教員時代。私自身が目指す教師像に近付くことができたか否かは判然としない。しかし、幸せなことに私の周りには私自身が理想とする教師像に重なる先生が常に居た。その内の一人、H先生は私よりちょうど10歳年下で新規採用一校目の先生だった。この先生とは特別なことが無い限り、毎日学校で夜遅くまで色んな話をした。明日の授業のこと、担任クラスのこと、部活動のこと等様々だった。中でも一番多かったのは、やはり生徒のことだった。「最近○○に落着きがない」、「○○がこんな風に変わった。」等々話題は尽きなかった。そんなH先生がある日、いつもの様に遅くまで話している途中で突然、本当に突然、「先生、教師の仕事って何ですかねぇ?」と真顔で切り出した。不意を突かれた形になった私の頭の中には、幾つかの模範解答が駆け巡った。この問いに対しどういう答え方をしたのか全く記憶にない。恐らく優等生的なつまらない内容を話したのだと思う。やや間があって、H先生は「自分たちの仕事って、生徒に一つでも多くの感動を与えることだと思うんです。」と、さらりと言った。一方、先輩教員である私は問題を無駄に複雑化し、当然過ぎるこの答えに辿り着くことができなかった。もう20年以上も前のことになるがH先生に対し恥ずかしい思いになったことだけは鮮明に記憶している。
 今、学校を取巻く状況は時の流れと共に大きく変化している。例えば豊多摩高校の先生方の仕事状況も、45年前の私の先生の時代、また、20年前私が教員だった時代とは大きく変わって来た。ただし、「生徒のために何としても」という教師としての姿勢は変わっていないと常々感じている。前段で、「当然過ぎる答え」と書いた。これは答えとしては当然という意味であり、その内容自体は決して簡単なことではない。しかし、簡単ではないからこそ、豊多摩の先生方は「これでもか、これでもか」という気持ちで頑張っているように私には観える。
 
 

去年の学校評価アンケートについて

経営企画室長 安藤 隆雄
 
 学校評価アンケートの自由記述のうち、経営企画室関係のものについて二―三書いてみます。
 毎年多いのがトイレが汚い、和式を洋式にとの声です。学校でも都教委に毎年強く要望をしているのですが、他校の安全に係るものが優先されるのと工事費がかさむので中々順番が回ってきません。
 古い校舎だが、耐震対策は?とありますが、校舎構造部も天井等も耐震検査に合格しています。大地震時の避難所にもなる場所なので安全は確保してあります。水、食料、毛布も生徒数分備蓄してあります。
 第二グランド・テニスコートに照明が欲しいとの声がありました。第一グランドの照明は豊多摩に定時制があったときの名残です。定時制が授業でグランドを使うために付いていたもので、あの球が切れても交換できないことになっています。大事に使ってください。
 教室のエアコンが、夏は暑く冬は寒いとの意見がありますが、省エネの関係で夏は二十八度、冬は二十度と決められているので皆さんが心地よい温度には残念ながらできません。
 なお、数年後には理科、家庭、美術室にエアコンが入る予定です。
 以上何点か施設関係でお話ししました。
 
 

合唱コンクール総評

芸術科(音楽)教諭 木谷 理恵
 
 今年度の合唱コンクールは、多くの保護者の方に聴いて頂きたい、より音響の良いホールで歌って欲しいという願いから、2000を超える座席数を保有している府中の森芸術劇場のどりーむホールにて行われ、無事に終了しました。学友の皆さん、大変お疲れ様でした。
 現在、一・二年生のほぼ半分が音楽の授業を選択しています。年度当初より合唱コンクールに向けて、発声法をはじめ、音取り、音楽的な表現を磨いてきました。そして合唱に対して真剣に取り組み、意見を出し合いながら協力して一つの音楽を作っていきました。
 本番当日は、それぞれの学年、クラスの持ち味が最大限に引き出され、団結力のある伸び伸びとした合唱を聴かせてくれました。来年も素敵な演奏を楽しみにしているところです。
 特に三年生は今年で最後でしたが、一、二年生も高校を卒業したら、仲間と一緒に合唱をする機会はほとんどないかもしれません。そう考えると、今回のステージがとても貴重な時間だったと思えてくると思います。
 この合唱コンクールを通して、頑張ったこと、嬉しかったこと、苦労したこと、悔しかったこと・・・それら全てが皆さんを大きく成長させてくれたと思います。これからの高校生活で、積極的に様々なことに挑戦したり経験したりしながら、今よりもさらに輝いた人間になってくれることを期待しています。
 
 

A review in time saves nine.「忘れぬ先の復習」

副校長 飛田 牧弘
 
 ほぼ月に一度、副校長連絡会へ出張します。そこでは、教育庁各部署等からの連絡や、副校長間の情報交換が行われます。私は、本校に新米副校長として着任して以来、連絡会の概要を、迅速に教職員の皆さんへ伝達するように努めてきました。それは役所と現場との「風通し」を良くしたいという思いからですが、実はこの作業が私自身にもメリットをもたらすことがわかりました。その概要をまとめるべく、少なくない量の資料を読み込むことで、その内容がよく頭に入り、都立高校を巡る状況が把握しやすくなったからです。要するに、私は副校長連絡会の「復習」をしているのです。転職とも言われるくらい、副校長の仕事は教員のそれとは異なります。概要作成は新人副校長にとって有意義な「自主研修」の機会だったのです。
ところで、よく「復習が大切」と言われますが、それはなぜでしょう。我々の感覚器官を通して入ってくる情報は、大脳辺縁系の一部である、親指ほどの大きさの海馬(かいば)に蓄えられるそうです。そこは短期記憶をつかさどる部分で、そこに同じ情報が繰り返し入ってこないと、「重要でない情報」と海馬が判断して消去します。パソコンにたとえると、電源を切ると情報が消えてしまうメモリーのようなものです。逆に、同じ情報が繰り返し入ってくると、「生きていくのに大切な情報」と判断し、情報は大脳新皮質の側頭葉(そくとうよう)という別の場所に長期記憶として保存されます。大脳新皮質はパソコンのハードディスクです。つまり、復習とは、同じ情報を海馬に何度も送り込んで、その情報を側頭葉に移しかえてもらう行為なのです。ドイツの心理学者であるヘルマン・エビングハウス(1850-1909)は、意味のない3つのアルファベットの羅列を、被験者にたくさん覚えさせて、その記憶がどれくらいのスピードで消えていくかを実験しました。その結果、20分後に42%、1時間後に56%、1日後に74%、1週間後77%、1ケ月後79%が忘れ去られることがわかりました。これをグラフ化したものが「エビングハウスの忘却曲線」です。テスト前にしか勉強しない人が「なかなか覚えられない」とぼやいたり、せっかく一夜漬けしたことが試験中に思い出せなかったり、皆さんも似たような経験をしたことがあると思います。それは、頭の出来が悪いのではなく、脳のメカニズムに合わないことをしているからです。したがって、学校や塾の授業を聞いただけで、わかったような気になっても、授業後に自分の頭で情報を整理しないと、授業に費やした時間やエネルギー、そしてお金が有効活用されないのです。座って聞いているだけではダメ。私は、復習の有無により、それぞれの学習を主体的学習と受動的学習と呼んでいます。
 P.S. 一年間で単語集を一周した場合、忘却曲線によると、一年前に覚えた英単語はどうなってしまうのでしょう?
 
※グラフと人物像は Wikipedia, the free encyclopedia より引用
 

第38号

 

平和を守り続ける

東京都立豊多摩高等学校長 奈良 隆 

 

 今から二〇年程前、クラス担任として沖縄修学旅行に行った。都立高校が修学旅行で沖縄に行くことが可能になった、比較的初期の頃だったと思う。初日の宿は宜野湾にある高級ホテルで、当日も国際的な会議が催されていた記憶がある。一方、私のクラスは何故かやんちゃな生徒が多く、担任としては他の宿泊客等ホテルの方々に迷惑を掛けてしまうのではないかと、心配ばかりしていた。
 初日、南部戦跡を中心とした平和学習を終え、ホテルに到着した直後に、その心配は現実的なものになる。紙面の関係で具体的な内容は省略するが様々なことが起こり、その対応に追われた。
 二日目のクラス別行動で私のクラスは本部港から伊江島に渡った。午後、伊江ビーチでバーベキューを行った後、平和資料館、「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」を訪れた。この資料館は阿波(あは)根(ごん)昌(しょう)鴻(こう)氏が自費で造られたもので、お世辞にも立派な資料館とは言えないものだった。しかし、未整備であることが却ってリアルな印象を与えていた。そこで氏の講話を聞く機会を得た。氏は当時、既に九〇歳を超えたご高齢に加え、目も不自由、内臓にも幾つか疾患があり、いつ倒れても不思議ではない状態であった。そのこともあり、担任としては氏や関係者に対し、ここでもご迷惑をお掛けすることになるのではと内心ハラハラしていた。しかも、困ったことに氏の語り口調は沖縄の方言が多く、その意味を正確に聞き分けること自体が大変だった。
 しかし、四〇分程の講話の間、あのやんちゃ坊主たちが私語一つすることなく氏の言葉の一つ一つを噛みしめながら聞き入っていた。しかも、あろうことか、講話が終わると誰からともなく氏に近づき、「おじいちゃん、ありがとうございました。」と自発的にお礼の気持ちを伝えながら握手を求めていた。「おじいちゃん」という表現は別として、彼らは氏から聞いた壮絶な内容に衝撃を受け、平和であることの大切さについて何かを感じ、その気持ちを素直に表現したのだと思う。氏からも「素直な良い生徒達だ」というお言葉をいただき、担任として胸を撫で下ろした。そして、それ以上にその言葉は、「この生徒達に平和を守り続ける力になって欲しい」という強いメッセージとして私には受止められた。
 今年、修学旅行の引率としては二年振りに沖縄を訪れた。沖縄には修学旅行だけでも十回程行ったことになる。そして、その都度多くのことを学ばせてもらっている。六九期生の修学旅行は実に見事な内容であった。生徒諸君も沖縄の豊かな自然や独特の文化に直接触れることで多くのことを学んだと思う。中でも平和の尊さについては、初日の平和学習を通して沖縄が抱える戦争の歴史を真正面から受止め、様々なことを考えてくれただろう。
 戦後七〇年という時間が流れ、激烈な沖縄戦を直接経験された方々もかなりのご高齢となっている。また、多くの方が既にお亡くなりになっているという現実もある。前述した阿波根氏も十年以上も前にお亡くなりになられたと伺っている。その様な時の流れの中で、私達には戦争の歴史を風化させることなく、平和を守り続けるという責任がある。何故ならば、今私達が享受している平和は、戦争で犠牲となられた方々の尊い命と、その後を受継いだ人々の血涙の努力によって得られたものであり、これを受継いでいくことは当然のことと言えるからである。そのことを高校生である諸君には、是非とも深く考えて欲しいと、今回の修学旅行を通して改めて強く感じた次第である。

 

 

できる! できる! 君ならできる! 打ち上げて見ろよ 豊多摩の花火を

体育祭担当 太田 睦子

 

 「また、雨、予備日は大丈夫か・・」今年もこの書き出しで始まる。こんなに天候で左右される行事だが、記憶に残らない体育祭はない。それはその集団での様々な出来事が物語っている。PTAをはじめ係り生徒、教員の協力なしでは成功できない行事。それをどのように生徒たちが参加するのか、どの高校でも行われている体育祭だが、豊多摩での体育祭は保護者だけではなく多くの方々にも見ていただきたいと思われる行事だと思っている。その場での活気溢れるあるみんなの笑顔、悔しがる顔、声、涙、学年を超えての響き渡る歓声、どのシーンも心に残る。でもこの集団で実施できるのはこの時だけ。何と物悲しいのだろう。この日の為に昼休み・放課後と実行委員会を経て当日を迎え、閉会式後の気持ちは、達成感に浸っていると確信する。
 そしてクラスの団結力は朝練の取組みを見ても感じることだ。勿論、怪我防止の事もあり担任の先生方には朝早くから生徒と一緒にその場で見守ってくれている姿も行事を成功に導いてくれていると感謝している。特に感じるのは3年生の姿だ。何も言わなくても良い。あの姿を後輩たちが見てくれれば、何かを感じ取って更に来年の体育祭へと繋げてくれる。これが伝統だと感じる。同じ時間を過ごした3年生にエールと共に送り出し、来年のゴールを下級生たちが目指そしてくれる。
 そして、来年の天気を今から気にして行事計画を見ている。来年こそは晴れて欲しいと。

 

 

自主・自律的な学習

進路図書部 飯泉 誠


 本校では職員室の前に自習室がある。そして、職員室から会議室にかけての廊下の壁面に、長机がいくつも並べてあり、自習コーナーとなっている。私が赴任した四年前は、利用する生徒は多くなく、それも三年生ばかりであった。しかし、今年度はかなりの生徒が利用するようになり、三学年の担任があわてて長机を増設した。それでも定期考査前は足らずに、会議室を自習室として開放している。その背景には、三年生だけでなく、一年生・二年生の利用が増えていることがある。進路調査の結果では、一年生の約四割が七月の時点で利用経験があった。現在、放課後に四十名から五十名の生徒が自習室や自習コーナーを利用している。また、一七時頃までは図書室や教室でも自習ができるので(自習室・自習コーナーは一九時半まで)、それを合わせると七十名前後の生徒が自習していることになる。このように、自主的・自律的な学習をすることができる生徒が増えたのは嬉しい限りである。真剣に学習している三年生の姿を見て、下級生も大いに刺激を受けていると思う。また、模擬試験の偏差値が向上していることには、このことが影響していると思う。年明けの大学入試で三年生が好結果を出してくれることを期待している。

 

 

今後数年間の高校改革の方向

経営企画室長 安藤 隆雄


 東京都教育委員会は、

(1)「知・徳・体」の調和がとれた、

(2)グローバル化を支える、

(3)社会の中で自立する人間

を育成するために新実施案をまとめました。
 取組みとして、

(1)基礎学力の定着、理数イノベーション校の充実、スポーツ特別強化校、英語教育推進校、ボランティア

(2)新国際高校設置検討、中高一貫校の充実、専門高校・定時制課程の改善

(3)組織的な学校経営、生徒の自立に向けた支援

などがあります。
 具体的には、小中高一貫校の設置、商業高校の改編、チャレンジスクール設置、全定併置校4校の定時制課程閉課程、工業高校2校にデュアルシステム科を設置、などです。
 豊多摩高校はこれらに該当していませんが、かつて本校も定時制課程がありました。その名残が生徒ホールで、昔の給食室です。

 

 

 

庭職人の正体

副校長 飛田 牧弘

 

 豊多摩高校では、火曜日になると、灼熱の太陽の下、寒風の吹き荒ぶ中、十名ほどの年配の人たちが、校内の草を抜き、美しく咲く花の手入れをしている。背中を丸めながら、黙々と作業をしている、その人たちはいったい誰なのか?植栽の管理会社の人? 杉並区のシルバー財団の職員? どちらも「はずれ」。学校予算では四季の草花まで賄えないし、よく見ると小さな花にも名札がついている。そもそも本校は都立なので、杉並区が面倒を見てくれるはずがない。正解は、本校園芸部のOBやOGの方々。昭和二十一年(本校創立六年目)に科学部農耕班で始まり、昭和二十四年に園芸部と改名。農芸・家畜・花き班に分かれ、現在では想像もつかないが、ヤギやウサギが校内で飼育されていたという。残念なことに昭和四十七年度の二十五期生をもって廃部に至ったが、「園芸部同窓会」は昭和四十六年に、ゆっくり走る「鈍行」列車やゆったりと流れる「嫩江」(中国北東部の川)にちなみ「どんこう会」と名前を変え、現在も活動中である。そして、平成十四年に学校から校内園芸美化ボランティアの依頼を受けたことで、他校に類例が見られない、卒業生による植生管理のボランティア活動が始まった。同窓会から補助金が支出されているというが、基本的に「手弁当」のボランティア。在校生の熱中症が心配される日でも、ボランティア活動を休むことがない。今では「親父の会」「学友会」「生物部」とともに活動することもある。現在、校長室の前に「どんこう会」の歴史を物語る展示が行われており、写真を見ながら校内の植生について理解を深めたり、旧校舎や学ラン学帽の生徒(昔は私服でないようだ)など、昔の豊多摩の姿を垣間見ることができる。その横に、現在も活躍している「どんこう会」メンバーの紹介。その八人の卒業生の顔写真を見ながら、彼らの心中を推し量ってみる。若かりし頃の思い出か、年齢の離れた後輩への思いか?その心境は現代の十代の若者では思いもよらないだろう。しかし、いつの時代であっても、先輩が後輩をいとおしむ、そのような温かい伝統を豊多摩は大切にしてもらいたいと思う。※本年十月十四日に、心不全で逝去された藤山朗氏(元藤沢薬品工業<現アステラス製薬>社長・会長。旭日重光章を受章)は、本校二期生で園芸部員だったそうです。ご冥福をお祈りいたします。

 

 

In sight, in mind.

「来る者、日々に近し」

 

 

●校長室前の展示は、同窓会により随時、展示替えが行われます。

 


第39号

 

幸せな人生を

東京都立豊多摩高等学校長 奈良 隆


 私の豊多摩生活も早いもので四年という時間が過ぎようとしている。同時に今年度末、三月三十一日で定年退職を迎えることになる私にとっては、豊多摩高校が教師生活最後の学校となる。そんな区切りの年を豊多摩高校で迎えられること、そのことに対し幸せを感じている。生徒諸君は勿論のこと保護者の皆様、そして教職員の皆様等々全ての皆様に対し心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 もう随分前のことになるが、ある教員から「校長として生徒に望むこと、期待することは何か?」という主旨の質問を受けたことがある。どういう場面であったかは忘れてしまったが、その唐突な問いに対する私の答えは「生徒一人一人に幸せな人生を歩んで欲しいと心から願っている。それだけだ。」というものだった。この言葉は私の本心から発したものであり、今も終始一貫変わることのない内容である。では、教員時代も含め、この三十八年という時間の中で私が関わった多くの生徒たちは、皆幸せな人生を歩んでいるだろうか?間もなく定年を迎えるこの時期に、改めてそんなことを考えるようになった。
 このことは、一人一人が幸せであって欲しいと強く願う気持ちと同時に、彼らの幸せのために教員として、また校長としてどれだけのことができたのか、という自らに対する問いである。そして、その問いに対する答えを出そうとする時、「十二分にやり切った」という自分と「もっと出来ることがあったかも知れない」という異なった答えをもつ自分が存在しており、明確な答えに辿り着かないというのが正直なところである。
 勿論、その時々においては精一杯の努力をしたという自負はある。しかし、その努力が生徒たちに対して、どの様な影響を与えたのかということについては明確な答えに辿り着かない。
 先日、六十八期生を送り出すことができた。卒業式ではいつも特別な感覚を抱くものだが、今回は私にとって最後の卒業式であり、いつ
も以上に特別な思いがあった。その式辞の中で一つの詩を送った。その詩は、「無名兵士の言葉―人間を幸せにするものは何か―」(加藤諦三薯 大和書房)という本の中で、主題として扱われているもので詳細については割愛するが、人の幸せについて考えさせられる内容が含まれており、是非とも六十九期生、七十期生の皆さんに文字として紹介したいと思い「公孫樹」に載せることにした。
 

大きなことを成し遂げるために、強さを求めたのに 謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった

偉大なことができるようにと、健康を求めたのに より良きことをするようにと、病弱を賜った

幸せになろうとして、富を求めたのに 賢明であるようにと、貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようと、成功を求めたのに 得意にならないようにと、失敗を授かった

人生を楽しむために、あらゆるものを求めたのに あらゆるものを、慈しむために、人生を賜った

求めたものは何一つとして与えられなかったが願いはすべて聞き届けられていた

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福された

作者 不詳

 

 私の取組んできたことが、皆さんを含むこれまで私が関わってきた人々の人生に対し、僅かでも役立つことがあったならば、私にとっては望外の幸せである。

 結びに、これまでお世話になった全ての皆様に対し心より感謝申し上げますとともに、豊多摩高校の益々の発展、全ての皆様のご多幸をお祈り申し上げ、私の「公孫樹」への寄稿を閉じさせて頂きます。

 

 

 

サヨナラ

経営企画室長 安藤 隆雄

 

サヨナラダケが人生ダ  井伏鱒二

コノサカヅキヲ受ケテクレ

ドウンナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトエモアルン

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 

さよならだけが人生ならば  寺山修二

さよならだけが人生ならば

また来る春は何だろう 

はるかなはるかな地の果てに

咲いている野の百合何だろう

さよならだけが人生ならば

めぐりあう日は何だろう

やさしいやさしい夕焼と

ふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば

建てたわが家は何だろう

さみしいさみしい平原に

ともす灯りは何だろう

さよならだけが人生ならば

人生なんていりません

 

さよならだけが人生だ  唄:初音ミク

(歌詞略) 

 

 

 

論より証拠

副校長 飛田 牧弘

 

 今春も、本校の入学試験に多数の出願があり、推薦で3倍強、一般で2倍の競争率を頂いた。これは本校への評価であるとともに、大きな期待の表れでもあるので、兜の緒を締めていかなければならない。兄弟や親子どころか、祖父母と孫で同じ学校を選ばれることがあるが、本当に有り難いことである。

 そして四月になって新入生を迎えたと思ったら、次年度に向けて新たなPR活動が始まる。授業や部活動などの多忙な校務の傍ら、PR委員会を中心に、多くの教職員が各種説明会や模擬授業などで校外へ出かけていく。学校の代表として「外の空気」を体感する意義は論を待たないが、出張を承認する身としては、教職員の健康管理も気がかりである。

 時間、人員、予算などの制約の中で、何が最も効果的なPR活動なのか常々思案し、辿り着いた答えは、やはり『生徒』である。進学校の宿命として進学実績に注目が集まるが、日常における生徒の姿、つまり、授業、ホームルーム、部活動、学校行事への取り組み、来校者への挨拶や登下校マナーに至るまで、全てが学校の真の姿を如実に物語っている。高校生への進路指導の一つとして、早期の志望先訪問を奨励しているが、数字には表れない「空気」が学校には漂っているのである。豊多摩に関心をもってくださる方々へ私が必ずお話しすることがある。「どうぞ、ご来校いただき、生徒の姿を見て、生徒に話しかけてください。生徒は嘘を申しません。」

 さて、昨秋に、家庭基礎の一環として、二年生が近隣の児童館を訪れ、乳幼児親子と交流する授業があった。これは、例年、白川教諭が、他の教員の協力を得て、鋭意実施しているもので、参加した生徒たちは、乳幼児の発達と生活、親の役割について理解を深めるとともに、自分に授かった生命の尊さを知り、親への感謝の気持ちを新たにし、将来の自分の姿を重ねる貴重な機会である。実施後に書いていただいたお母様方の感想を拝読すると、本校生徒について、優しい、素直、しっかり、純粋と肯定的に評されており、「自分の子も高校生になるんだな、としみじみ思いました」とのコメントも見受けられた。進学に重点を置く都立高校の中には、小学生を対象に学校説明会や授業体験を実施している学校もあると側聞するが、本校の取り組みは「青田刈り」どころか「種籾買い」である。

 

The proof of the school is in the student.

Student is better than explanation.

 

 

平成26年度発行

第34号  第35号  第36号
 

第34号

 

「一刹那正念場」

東京都立豊多摩高等学校長 奈良 隆
 
 最近読んだ本に、今回の題名に使った「一刹那正念場」という言葉を目にした。ふと、感じたのは、「正念場」という言葉自体を最近ではあまり耳にしていないという点である。私自身も、例えば生徒諸君を前にした場面で、この言葉を使って話をした記憶がない。また、仮に使ったとしても、「正念場」という言葉について何となく理解しているだけで、「正念」という言葉の本当の意味について、恥ずかしながら正確に理解しているとはいえない。まして、その由来ともなると、恐らく仏教語から来ているのだろうと想像する程度である。
 広辞苑によれば「正念」とは、「八正道の一。仏道を思念して忘れないこと。(中略)雑念を払い、深く真理を思念すること(以下、省略)」とあった。これに続いて、「正念場」とは、「歌舞伎・浄瑠璃で主人公がその役の性根を発揮させる最も重要な場面。転じてここぞという大事な場面・局面。」などと書かれていた。
 さて、題名の「一刹那正念場」の「一刹那」であるが、これは、一瞬を意味している。「一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、本番と捉えて真剣に生きよ」と教えているのが「一刹那正念場」という言葉の意味らしい。それにしても、これは極めて厳しい教えである。仮にこれが、「正念場」だけであれば、ここぞという場面・局面において持てる力を発揮しろ、ということになるが(現実的には、それだけでも並大抵のことではないが)、「一刹那正念場」、これは、それだけにとどまらず、「一瞬たりとも気を抜くことなく、常に真剣勝負のつもりで全力を出し尽くせ」ということである。本当に厳しい言葉・教えだと感じた。
 今学期始業式の結びで、「勉強は当然のこと、特別活動(行事・学友会活動・部活動等々)も、もっともっと本気に、ドロドロになって取組んで欲しいと話した。その話の中で取上げたキーワードは『切替え力』、そして何事もやり抜く『覚悟』であった。また、一年生諸君には入学式で、橋本佐内の『啓発録』から「稚心を去る」を引用し、豊多摩高校への入学に際しての一人一人の覚悟を問うた。
 豊多摩高校は自主自律を伝統的な校風とし、それを大きな誇りとしている学校である。私は、生徒諸君がこの校風の中で、大きく成長するだけではなく、この良き伝統を更に磨き上げつつ「真の自主自律」を諸君の後輩達に伝えて欲しいと願っている。私が生徒諸君に対して伝えようとしている「切替え力」や「覚悟」に関する話も、実は、この「自主自律」に帰結する内容である。
 「一刹那正念場」、これは極めて厳しい言葉、教えである。しかし、豊多摩高校の自主自律の目指すところ、理想はここにあると私は思っている。
 
 

授業料制度

経営企画室長 安藤 隆雄
 
 現在の1年生から授業料制度が変わり、入学時と6月末に書類を出してもらいました。
 他校の話を聞くと、入学時に提出してもらった書類にまだ不備があってなかなか片付かない学校が多いようです。
 その点、我が豊多摩生は入学時の提出書類は全員完了し、6月もほとんどの家庭から完璧な書類をもらいました。学校は教育の場ですが、家庭がしっかりしていればこそ生徒諸君も自然と自立するものだと感心しています。
 授業料は6月納入分は分納できませんが、それ以降の分は何回かに分けて納入することもできるようです。正確なことが決まったらご連絡しますのでおうちに持って帰って下さい。
 
 

合唱コンクール総評

一年B組担任(音楽科) 木谷 理恵
 
 今年度の合唱コンクールも中野ゼロホールにて行われ、無事に終了しました。学友の皆さん、大変お疲れ様でした。
 まず全体として、それぞれのクラスの持ち味が最大限に引き出されていて、皆さんの気持ちが伝わってくる演奏ばかりでした。
 一年生は、高校に入って初めての大きな行事であったにも関わらず、どのクラスも良くまとまっていて、それぞれの個性が十分に伝わってきました。
 二年生は、声部間のバランスも良く安定していて、とても好感がもてる演奏ばかりでした。来年も期待しています。三年生は、さすが聴きごたえのある演奏ばかりで、圧巻でした。聴き手に何を伝えたいのか、訴えかけてくるものがありました。
 三年生は今年で最後ですが、一、二年生も高校を卒業したら、今日のように仲間と一緒に合唱をする機会はほとんどないかもしれません。そう考えると、今回のステージがとても貴重な時間だったと思えてくると思います。
 皆さんはこの経験を通して、合唱という分野ではありますが、音楽を追求していくこと、またそれ以上に「何か大切なもの」を得られたのではないかと思います。ぜひ今後も歌うことを拒まず、音楽を楽しんでいって欲しいと思います。
 
 

体罰防止スローガン

 
そぐわない
文化の森に
体罰は
 
Nowhere in our forest of cultures
can be found
corporal punishment
 
飛田(副校長)作 
 

第35号

 

スパーク

東京都豊多摩行為等学校長 奈良 隆
 
 「人を教え導く者は、まず自ら学ぶという謙虚な姿勢を持たねばならない。」これは30年近く前に、ある研修会で講師の方が話された内容である。何故かこの部分だけが今でも強く心に残っている。その研修会が教員だけの集まりではなかったことからも「人を教え導く者」とは、教師に限定されている訳ではない。しかし教師の仕事は、多くの職業の中で、その代表的な職業だと言える。
 さて、教師の仕事は多岐にわたっている。そして、近年その広がりは増大する傾向を辿っている。その中で根幹である「教科指導」に限定した場合、教師にとって「自ら学ぶ謙虚な姿勢」とは何を指すのだろうか。それは何と言っても授業を作り上げていくための準備、即ち「教材研究」、「教材作り」等々であり、これに向けた姿勢そのものを指すことになろう。
 ある日の夜、校舎内を歩いていて、ふと立ち止まった。視線の先にはT先生、K先生、そしてFさん(Fさんは本校のOBであり元都立高校教師)の三人が、まさしく頭を寄せ合って何やらゴソゴソやっていた。楽しげな雰囲気もあったので、私は「何をやっているんですか?」と言いながら近づいた。詳しい内容は省略するが、電流に関する実験器具(手作り)を動かしながら「ああでもない、こうでもない」のやり取りが繰り広げられていた。私が「手作りの実験器具は大変ですねえ」と声を掛けると、「では、別の実験をお見せしましょう」ということになり準備室へ。今度はスパーク実験(正式には、高圧放電実験)を見せてもらうことになった(これも全て手作りの器具だった)。Fさんの指示により、K先生の体を通した電流をスパークさせるというものだった。「校長、ちょっと危ないから下がって」とFさん。後ろを見ずに下り、スチール書架に触れてしまった。その瞬間、パチッという音と共に軽い痛み。書架に帯電した電気が私の体にスパークしたのである(結構ビビった)。
 「一つの授業を展開するための準備には、その二~三倍以上の時間を要す」これは学生時代から何度も聞かされた話だ。超ベテランを含む三人が集まり、明日以降の授業準備をする姿は、「より良い授業作り」に向けた、教師としての謙虚な姿勢に他ならない。そしてこの様子はほんの一例に過ぎず、職員室や各準備室で毎日遅くまで繰り広げられている。
 先頃報道された、OECDによる調査では、日本の教員(調査対象は中学校)の勤務時間は週53.9時間で最も長く、平均の1.4倍であったことが話題となった 。しかし、現実的にはもっと厳しい状況下で努力されている先生方が数多くいる。頭の下がる思いである。
生徒諸君にはこういう背景も理解しつつ一つ一つの授業に立ち向かってくれることを強く希望する次第である。
 
 

センター試験、頑張ろう!

進路図書部 飯泉 誠
 
 おそらくこの学校通信は二学期の終業式で渡されるものと思います。センター試験まであと二十三日。三年生にとってはこれからが正念場です。精一杯頑張って下さい。学校をあげて応援しています。少し気が早いですが、センター試験当日の注意点を書いておきます。参考にして下さい。
  • 合格している自分を想像してから試験に臨もう!(プラスイメージがあなたの内なる力を引き出し、不安や緊張を押さえます。)☆マーク試験を受ける感覚でリラックスして臨もう!(自然体が一番!)
  • マークしたものは、大問ごとに確認しよう!(塗りつぶすべきマーク欄を間違えたら何にもなりません。行や段がずれないように、確認に確認を!)
  • 終わった試験教科の話には耳を傾けないようにしよう!(どうしても気になってしまうでしょうが、気にしたところで点数があがるわけではありません。)
  • 空き時間は心を落ち着かせるようにすごそう!(外の空気を吸いに行ったり、友達と話をしたりして、うまく息抜きをしましょう。)
 二年生の皆さん、あと一年少々でセンター試験です。そろそろ受験モードに切り替えましょう。一年生の皆さんは基礎学力をしっかり固めていきましょう。それが進路希望実現につながります。
 
 

『迷惑施設』

経営企画室長 安藤 隆雄
 
 学友諸君には、学びの舎であり、友だちとの語らいの場である学校も、近隣住民の方からすると、まれに迷惑施設となります。
 今の時期は落ち葉が学校から近隣のお家に入り、掃除が大変になります。雨どいに詰まってしまうこともあります。いちょうの落ち葉を踏んで登校するのは気分のいいものですが、立場が変わると見方が変わる例ですね。
 毎年少しずつ剪定をしていますが、校庭がひろく沢山の木が植えられているので次の順番が来るころには隣家に枝が伸びていたりします。緑豊かな学校ですが、調和も必要ということで多くない予算の中近隣の方々の迷惑にならないよう努めています。
 
 

みんなでワッショイ!!とよた祭 

記念祭担当 小室 議司
 
 「縁の下の力持ち」という慣用句がある。小学生の頃、縁側の下に力持ちがいて何の役に立つのだろうと思っていたが、ここ数年では最多となる四千人近くの来校者数を記録した今年の記念祭、この言葉の意味を痛感した。
 去年の記念祭は右も左もわからず台風とともに終わってしまったが、ある程度周囲が見えるようになった二年目、この行事には学友・PTAの方々、OB・OGなど多くの力持ちによって支えられていることに気付いた。
 そして、その中でも特に紹介したいのは記念祭総長をはじめとした実行委員会のキャップ(各局のリーダー)の存在である。あまり認識されていないが、最も準備期間が長い行事は記念祭だ。四月から毎週会議を行い、記念祭当日は馬車馬のように校内を駆け回り運営業務をこなしていく。決して華やかではなく、ときとして他の学友から企画運営について批判されることもある地味な仕事だ。しかし、彼らの仕事なくして記念祭は成り立たない。
先ほどの慣用句、語源は決して力持ちが縁側の下にいるわけではないが、言葉の意味を超え今年の総長をはじめとするキャップたちは豊多摩の縁の下から記念祭を力いっぱい支えていた。そして、そんな彼らに後夜祭で温かい拍手を送った豊多摩生たち。今年記念祭の担当で本当に良かった。
 
 

体育祭を終えて お金で買えない勝ちがある

体育祭担当 太田 睦子
 
 予行日より雨天でもしかすると本番も雨で今年は中止になる!と生徒と共に焦る毎日でした。「お金で買えない勝ちがある」のスローガンのごとく私の心は「お金で買いたい天気」という気持ちでした。プログラム表紙は3人もの生徒が心のこもったイラストを描いてくれ各学年の3部のプログラム表紙となった。当日が近くなると朝練にグランド中から若々しい声と共に学年の先生方も一緒になって練習を見守っていただき当日を迎えることとなった。予行日では急遽変更して体育館内での招集練習に時間を費やし狭いながらも生徒が良く動いてくれた。聖火入場では、煙が消えてしまったトーチをロードレースの覇者2人が見事な走りでスタートさせてくれた。
 当日の主役達はクラスをどうにかしてまとめあげクラスが目指すゴールに向かって小走りから猛烈なダッシュへと変わっていった。勿論その主役達を動かしてくれた体育祭実行委員のみんなは良く頑張ってくれた。そして、部活動の生徒は、準備から当日そして後片付けまで本当に気持ちよく動いてくれた。その日の終わりに一人の部員が「先生、私はみんなの為にクラスの方へは全然行けなかったけれどこうして行事に参加している形が好きなんです」と声をかけてくれた。この一言で私は今年もみんなと一緒に迎えられた体育祭がまた好きになった。とにかく行事は楽しい!自分が楽しまなくては豊多摩に来た意味は見失うぞ!! と3年生が心底、後輩たちに伝えていることに気が付いて後輩たちよ、3年生にエールと共に送り出し、また来年のゴールを目指そう!
 
 

今度の副校長は意地悪?

副校長 飛田 牧弘
 
 始業時刻前に、欠席連絡で豊多摩に電話すると、副校長が要件をお聞きした後に、「欠席や遅刻のご連絡は、電話ならば8時30分以降、ファックスならば24時間受け付けております。」と、長々と付け加える。「こっちだって仕事で忙しいんだ。学校にいるのだから、電話くらい受けてもいいだろう。」という声が、受話器の向こうから聞こえてくるようです。副校長だって親業をやっています。ご不便をかけているのはわかっています。しかし、始業前の職員室は、朝学習教材の配布、早めに登校してきた生徒の対応、よりよい授業のための教材準備、自転車事故や電車遅延の緊急対応など、一日で最も慌ただしい時間帯にあたります。しかも、在校生は900名以上(来年度は1学級増)。多くの保護者の方にとっても、寸暇を惜しみたい時間帯とは思いますが、登校してくる豊多摩生のために、今後も「8時30分ルール」にご協力ください。
 
No calls, good news.
「電話がないのは、よい知らせ。」
 

第36号

 

学校評価・自由記述

東京都立豊多摩高等学校長 奈良 隆

 

 学校運営連絡協議会(以下、「学運協」)が全都立学校に設置されて10年以上が経つ。これは、「閉鎖的である」と言われがちであった学校組織を、学外に向けて積極的に開くことで風通しを良くし、双方向の情報発信等を通して学校改善に資することを目的とし、設置されたものである。様々な立場から幅広くご意見を頂くために協議委員のメンバーには地域の有識者、同窓会、PTAの代表等々が含まれており、毎学期に一度、会議を行っている。

 この学運協の中には更に、「学校評価委員会」という協議会内組織が置かれており、毎年生徒、保護者、教職員を対象とした学校評価に関するアンケート調査を実施している。調査項目には「授業に対する満足度」、「学校生活に対する満足度」、「学校行事に対する満足度」、「部活動に対する満足度」、「生活指導に対する満足度」等がある。

 この調査結果の推移を見ると、平成21年度から24年度の4年間は、全ての項目において右肩上がりの傾向を示していたが、平成25年度は全項目において突然、下降するという結果であった。この結果に対しては学校全体に少なからず動揺が起こったことも事実である。しかし、今年度の調査結果では、一つの項目(「保護者の生活指導に対する満足度」数値的には93.7%であり値としては高い)を除いた、ほぼ全ての項目で過去最高の値となった。この変化については今学期始業式でも、速報値として生徒諸君には伝えた。数値の単年変化に一喜一憂すべきではないと考えるが、より良い学校作りのためには、常に謙虚な姿勢で受止め、翌年度以降に繋げていくことが重要である。

 さて、この学校評価アンケートの中には各項目に自由記述を求める部分がある。頂いた自由記述の内容としては、直ぐにでも対応したい事柄が数多くあるが、一方では、「何故だろう」と思われる記述もある。個人的には、前者は施設の改善、特にトイレの改善を求める声である。これに関しては全項目を通して件数的にも圧倒的に多い。そして、後者は「ロードレースは不要である」という記述である。

 

後者のロードレースについて続ける。行事全体に対する生徒の満足度は90.3%であり、極めて高い数値と言えるが、自由記述の中では「ロードレースを無くして欲しい」という記述が散見される。つまり、「行事全体には満足しつつも、ロードレースだけは・・・」ということの様だ。運動をすること自体が苦手な生徒、または運動が得意な生徒にとっても、校内大会等で実施される他の種目と比べると、「走る」という運動は単調で変化に乏しく、苦しいイメージが強い。そして、走ることを通して得られる「楽しさ」、「達成感」、「爽快感」等を実感できるまでには、幾つもの壁を自らの強い意志をもって克服していく必要がある。そしてこのこと自体が競技特性そのものと言える。「走る」ことに意味や価値を見出し、挑戦し続けることは、誰にとっても苦しく厳しいものである。でも、だからこそ、豊多摩生にはそこを回避することなく、積極的にチャレンジし続け、心身ともに、更なる逞しさを兼ね備えた人として成長して欲しい。

 豊多摩高校のロードレース。その実施目的は「『走る』という身体活動を通して体力を高め、精神力を養う」とされている。

 

 

電話今昔

経営企画室長 安藤 隆雄

 

 私が最初に見た電話は、壁に取り付けられた板からマイクが突き出ていて、イヤホンはすりこぎほどの太さがあった。当時は音圧を電圧に変化させて通信していたのでノイズが多く、大きな声で話しても通じにくいものであった。各家庭に1台普及しておらず、近所の家に呼び出してもらったものだ。

 電電公社がNTTに民営化され、ポケットベル・PHS・携帯電話と切り替わって行き電話が家庭から個人へ進出するスピードは怒涛の勢いだった。今や小学生も安全のために親に持たされる時代。使用方法もすっかり変わり、ドコモなど通信事業者は回線を貸すだけで、ソフトがどんどん拡大している。

 その弊害については、学友諸君も実感している人が多いだろう。子曰少年易老学難成である。LINEは目前は楽しいかもしれないがその後の人生を考えてみて欲しい。

 

 

頭がよくなる素

副校長 飛田 牧弘

 

 昨秋、久しぶりに沖縄修学旅行を引率する機会がありました。前回の引率は同時多発テロの翌年でしたから、なんと12年ぶりの訪沖でした。今回の「旅行のしおり」に少し書きましたが、前回は修学旅行担当として運営にあたり、「米人宅一日ホームステイ」「シュノーケリング」「沢登り」といった“斬新な”プログラムを企画しました。今回は12年前とは自分の立場が異なったものの、今回も引率する教員の一人という意識で参加しました。

 今回は時間的制約の厳しい旅程でしたが、68期生はしっかりと平和学習などに取り組んでおり、「ひめゆり資料館」や「平和祈念資料館」では熱心さのあまり、「時間が足らないよ」とクレームが出るくらいでした。私の長い教員人生で、いろいろな修学旅行の風景を見てきましたが、いわゆる偏差値が高く、大学進学希望者が多い学校の生徒たちは、バスが発車する時刻になっても、“ぐずぐず”“うろうろ”する傾向が見られました。これは、生徒たちが持っている好奇心のなせる業で、彼らの人生で少しずつ育まれてきたものです。それには、家庭教育が大きな役割を果たしてきたことは言うまでもありません。無名な高校から東大合格者を輩出しようとする漫画『ドラゴン桜』(講談社)では、日常の会話の中で、親が子どもに「なぜ?」と問いかけたり、買物や散歩の際に、「野菜の育て方」「お金の計算」「雨と雲の関係」「月星の動き」を説明したりして、思考力や好奇心を育てるシーンが出てきます。本校の保護者の方々も、似たような工夫をされてきたことと思われます。子どもは親の言うことは聞きませんが、親の真似はよくします。今後も、社会的な事象を食卓の話題にたり、親自らが学ぶ姿勢を見せていきたいものです。私も含めて。

 

Curiosity never kills students.

「好奇心旺盛、大歓迎」

 
 

モモ

二学年主任 高橋 繁隆
 
 例えば財布に一万円入っていたとして、買い物の時にふと見たら七千円になっていたとする。私なら本来あったはずの三千円の使い道を思い出そうと必死になるだろう。思い当たる節がない場合、盗難を疑うかもしれない。三千円という金額は私にとって大きな損失なのだ。
 総務庁の調査によると、現代の高校生は一日三時間モバイルを使用しているそうだ。またある情報セキュリティー会社によると、女子高校生は一日七時間、男子高校生は四時間モバイルを使っているという。この二月の調査によると、68期生は一日136分モバイルを使用していということが分かった。
 あるはずのお金が財布から消えると不安になるが、一日の現実から貴重な数時間が消えても現代人は不安にならない。
 ミヒャエル・エンデの『モモ』では、「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし少女モモは、貧しくとも友人の話に耳を傾け、奪われた時間を取り戻す。
 願いの叶う三枚のお札があるなら、一枚は間違いなく私はモモの出現のために使うだろう。
 
 

そぐわない 文化の森に 体罰は

Nowhere in our forest of cultures can be found corporal punishment.

飛田 牧弘 作
 
 豊多摩高校では
体罰根絶に向けて全力で取り組んでいます。
人権を尊び、学力向上を目指しています。
 保護者の皆様のご協力に感謝します。
 平成二十六年度も終わります。
 ありがとうございました。
 

平成25年度発行

第31号  題32号  第33号

 

平成24年度発行

第28号  第29号  第30号

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